講師紹介
柴田洋介(1970年代生まれ)
小中学校は愛知県内の公立小中校に通う。中学校時代はバスケ部に所属、本人によると食べても食べても太らない体質だったらしい。誰も信じないが、今とは違いスリムな体型だった。
高校は『宿題がない』『冷暖房完備』という甘言に騙され、名古屋市立菊里高校を受験、合格する。そんな邪な理由で入学しただけあって、すぐに落ちこぼれる。最初の定期テストはクラス45人中42位という成績。
9クラスあったので、405人中380番ぐらい。
当時、自覚はなかったが、勉強の仕方が本当に分からなかった。
高校に合格できたのは、塾のおかげ。
ただし、分からない漢字や熟語、格言や英単語を調べてその場で出来る限り暗記する習慣はその頃からあって、それがなければ塾に通ってもどうにもならなかったと思う。
ちなみに中学校時代に通っていた塾は南塾という塾で、今も健在です。
高3になり、さて受験勉強を始めようと思って、まず本気で困ったのは勉強の仕方が分からないこと。
何していいのか本当に分からない。
なので、京都大学を目指し高2の夏から受験勉強をしている友人の真似をした。
勉強方法を聞きまくった。
彼には本当に世話になった。
そして、当時の担任の先生に相談して、自分に合うテキストを紹介してもらった。
この2つがなければ、名古屋大学には受かっていないという確信がある。
(当時、100位以内にいないと名大現役合格は無理と言われていた。)
ここから300人をごぼう抜きする。
当時の同級生はまぐれだと思っているかもしれないが、最後の方は50位以内相当の学力を身に着けられることを確信し、大阪大学志望に変更していた。
運命の日は、センター試験当日・・・ではなく、前日だった。
タッチ(あだち充著)のワイド版18巻(最終巻)が発売されたのがセンター前日だった。
魔が差すとはこのことだろう。
バス停を降りた目の前に本屋。
買ってしまった。
家に帰り、18巻を読み終わった後、よせばいいのに1巻から読み直した。
気が付くと、東の空が白く明るみ始めていた。
ほとんど一睡もせずセンター当日。・・・死んだ。
結果、名古屋大学に志望を変更し、無事?合格することとなる。
伝説を刻もうとしたが失敗した。
だが、大逆転と言っていい結果だろう。
大学・大学院では電気工学を専攻。高電圧を専門としていた。
卒業後は、運よく三菱電機(株)に拾ってもらいそこで技術者として育てて貰った。
今思うと、上司・先輩、本当にいい人ばかりでした。
しかし、技術者の世界は人間関係が狭く感じる。
接する人間の顔ぶれがいつまでもあまり変わらない。
唐突に不安を感じ転職。
転職先はトヨタ自動車(株)の子会社。
自動車業界なら様々な人に出会えると思ったからだ。
自動車も作ってみたかった。
ちなみに私がいた部署は現在はトヨタ自動車(株)に吸収され、現在は存在しない。
(会社はまだ残っている。トヨタテクニカルディベロップメント(株)という会社。)
ここで、メンタルを病んだ。
まぁ、上司からパワハラを受けたわけだ。
私は三菱電機時代の激務を経験したおかげで、少しでも仕事の時間に余裕があると隙間時間に仕事を詰め込みたくなるワーカホリック気味の人間だった。
一方で、責任のある仕事は親会社が引き受けるため、三菱電機時代のように製品の品質やコストに直接影響を及ぼすような重大な仕事は回ってこなかった。
私は自己成長と自己満足度の高い仕事を追及する節があって、経験を積めそうな厄介な仕事、揉めている仕事に積極的に関っていった。
問題解決をしないと評価されないと考えたのも理由の一つか。
しかし、なぜか上司の中では、私が原因で仕事が揉めていることになっており、待遇が酷くなった。
問題を解決したはずなのに、私が問題を起こしたことになって評価が下がるわけだ。
この状況が継続してメンタルを病んだ。
この上司の下では、毎年誰かが犠牲になっているので、私がターゲットになっただけだろう。
泣き寝入りしたくないので、さらにその上の上司に相談したら、そこでさらにパワハラにあった。
気が弱くなっていることをいいことに、病んだ原因全てを私に押し付けようと画策された。
忙しくて健康診断に行く暇がなかったことすら、行くのが面倒でサボったことにしようとした。
おかげでさらにメンタルを激しく病む。
相談した人間からパワハラとか想像したこともなかった。
普通に人間不信に陥る。
で、離職。
サラリーマンはもう無理。
合わない。
なので、私が高校時代に苦しみ、そしてその苦しみに正面から立ち向かい勝利した『受験勉強』を商売の糧にすることにした。
まず、塾の立ち上げ方が分からないのでフランチャイズに加盟して個別指導塾を始めた。
3つ問題にぶつかる。他にも問題はあるが分かりやすいところだけ。
1つ目 まずは講師不足。
講師が足りなければ、指導が出来ないので成績が上がらない。
不満もたまる。生徒は塾を辞める。
2つ目 全ての学生講師が成績を上げられるわけでない。
これは講師が悪いのではなく、私の責任。講師への指導力不足。
3つ目 生徒の勉強時間が全然足りない。
大手の集団塾の勉強量を知っていれば分かりますが、成績で追いつこうとしたら最低でも同等の勉強量が必要。
個別指導は壊滅的にそれに向いていない。
問題を解決するため、セミナーに行きまくってとにかく勉強した。
本も買い漁って勉強した。いや、今も勉強は継続している。
これらの問題点を解消したら、個別指導塾とは言い切れない塾になってきてしまった。
で、現在に至る。
理念(工事中)
§ 生徒一人一人の成績を最大限に上げる塾を目指し続ける塾
塾を経営していてぶつかるのは、成績を上げるための具体的な方法論。
特に個別指導塾では短時間で効果的な方法を求める生徒・保護者が多い。
実際、個別指導塾は一人一人の理解度に合わせて授業を進めるので勉強効率が集団塾より高い。
勉強効率に特化した塾と考えた方が良い。
だが、その勉強効率は講師の練度に大きく依存する。
生徒と講師の信頼関係も成績に大きく影響する。
一方、集団塾は生徒が授業を効果的に活用できるのであれば、費用対効果の大きい塾だ。
成績を上げるために最も簡単で強力な手段『勉強量を増やす』という方法も集団塾だからこそ使える。
成績を上げると評判の塾では、ほとんどの塾がこの方法を取り入れている。
当然、ただ勉強量を増やすだけでは生徒・保護者からの信頼を得られないので、ほかにも信頼を得るだけの理由は必要となる。
個別指導塾はこの単純で強力な方法に乗れない。
人件費が邪魔をする。
追加講習を提案するにも、保護者の経済的負担を強要することになるため、簡単には協力を得られない。
ところが、集団授業でも個別指導でもなく、これらの問題を打破する塾がいくつもある。
集団個別とか自立型とか言われる塾だ。
実際にはネーミングはどうでもよく、最大限に成績を上げる方法を模索した結果が、集団塾とも個別指導とも言えない形態になっただけだ。
効率的な勉強方法と、勉強量を確保することの両方を獲得しようとした結果だ。
成績を最大限上げようとすると、必然的にそうなってくるらしい。
私にとって、これはスタートラインに過ぎないのかもしれない。
これまで試行錯誤して、自分の形はずいぶん出来上がった。
だが、まだまだ改良の余地はあるだろう。
もっと成績を上げる。全員の成績を上げる。